少しずつ陽がのびている気がする。黒い雲に覆われていて太陽はどこにあるのか分からない。だけど、この明るさならまだ沈んではいないはずだ。散歩コースの折り返し地点は過ぎたから5時40分くらいだろうか。
今日は一段と冷えると思ったら、今夜から明日の昼ごろまで雪が降るそうだ。この辺りで積もるほど降るのは珍しい。もうすぐで3月だけど、春はまだまだ遠そうだ。
信号が赤になって足を止める。ここの交差点の赤は長い。せわしない車の往来から、脇にあるコンビニのほうに視線を移した。いつもと同じくらい車が停まっていたが、なにかが違うと直感した。
車止めっていうんだっけ。駐車場と店の間にある、アーチ型のアレ。腰掛けるのにちょうどいい高さのアレ。
入口近くの車止めにマフラーが掛かっていた。
おちついた深緑に白と水色のチェック柄。物静かながらも芯の強そうな、品のよいマフラーだ。それが車止めに巻いてある。たぶん誰かの落とし物ということなのだろう。地面にすれないように固定されて、持ち主が戻るのを待っている。巻かれているから風が吹いても飛ばされないだろうし、誰かがスッと盗ってしまうということもないだろう。そこにあるべきものではないのに、そこにあるのが相応しいと感じさせる何かがあった。
ぼうっと見ていたら、ひとりの女子高生がそのマフラーのほうに小走りで向かってきた。反射的にふいっと視線を前に戻す。自分でも反応のよさに驚いた。でも、そのときはどうして自分が目を背けたか理解できなかった。
だって前を見た瞬間、信号が青になってしまったから。
家に帰るまで、いや家に帰っても、ずっとマフラーのことを考えていた。
なんであのとき目をそらしてしまったんだろう。どうしてマフラーが回収されるのを見届けられなかったんだろう。
自分はきっと長いことマフラーに釘づけになっていた。意識外から彼女が現れるまで、自分では抜け出せないくらいに魅入られていた。散歩中の信号待ちという現実に引き戻されたとき、まずはじめにとるべき行動は信号の確認だ。だから、自分は視線を外したのか?
あるいは、彼女がマフラーとは無関係だと潜在意識が判断したのだろうか。彼女が向かう先はマフラーではなく、コンビニの入り口だった。たしかにマフラーのある車止めは入り口に近かった。素通りされる落とし物という構図は残酷だ。彼女が持ち主かもしれないという期待があるなら、なおのこと惨い。だから、そこで見ることを止めたのだろうか。あそこで終われば、持ち主のもとに戻るハッピーエンドを思い描くことができるから。
はたまた、自分はマフラーがあの場所に残され続けるのがいいと思ったんだろうか。おそらく事故によって持ち主の手を離れてしまったマフラー。優しい誰かに助けられ、目につきやすい場所で主を待ち続ける。ドラマチックだと思うし、間違いなくあの場所にあるからこそ自分は魅力的に感じていた。彼女が持ち主だとしたら、マフラーはあの場所から消えてしまう。そのときを見たくなかったのだろうか。
いずれにしても、今あのマフラーがどうなったのかはわからない。
こんなことになるなら、あのとき信号を渡らなきゃよかった。
べつに自分には関係のないマフラーだ。どうでもいいはずだ。
でも実際問題、今も眠れずにいるわけだし、明日からの散歩が不安でしょうがない。まだあそこにあるのだろうか。あの深緑のマフラーが雪に埋もれて、日射しにとけて、砂ぼこりに晒されて……そう考えるといてもたってもいられなかった。
今ならまだ間に合う。
ベッドから起き上がって、服を着替えた。幸いあのコンビニは24時間営業だ。もし今もあそこにあったら…いや、それは着いてから考えればいい。
雪降る真夜中を、懐中電灯を片手に踏みだした。
すべてが白くなる前に(1529字)


