つめたい風がカーテンを揺らして、その隙間から月明かりが射しこむ。
その光を眺めている自分に気がついて、寝付けないことが焦りから諦めに変わる。
今日の仕事、大丈夫かな。体を起こしてベッドに腰かけると、視界になにか白いものが映った。暗い部屋の中、その白い服装はとても目を引いた。だけれど月の光とは違って、まぶしくなくて周りに溶け込んでいる。それは脚をぷらぷらさせながら座って、だまってこっちを見ている。机の上にワンピース姿のこどもがいた。
「こんばんは、お姉さん」
幼い容姿に不釣り合いなくらい落ち着いた喋り方だった。中性的な見た目に、中性的な声。
ただただうっとりしている自分に、ああ夢なんだなとぼんやり思う。
「はじめまして。リミアといいます」
「今宵お姉さんの記憶をいただきにきました」
どうやら彼女は人間の記憶を食べる種族で、私から記憶を分けてもらうために現れたらしい。
ぼんやりしている私にリミアは説明を続けた。食べる記憶は合意の上で決めるから心配ないだとか、人間の脳に一度記録されたことは簡単には消えないだとか、ジャメヴは自分たちの種族の仕業かもしれないだとか、懇切丁寧に説明してくれた。
リミアは私の不安を払拭しようと懸命に安全性について話を続けている。だけど私は端からなんにも恐れていないから、リミアを遮って気になっていることを尋ねた。
「だいたい分かったけれど、どうして私を選んだの?」
びっくりしたような、ちょっと怪訝そうな表情になってリミアは答えた。
「えっ…。だって、お姉さんが記憶を消したいって…」
え…。私が……?心当たりがまったくない。
わずかな沈黙の後、リミアが自信なさそうに声を出す。
「だって、日記に……。記憶をなくしてプレイしたいく…」
「そうだ!!!」
そうだった…!さっきまで夜更かしして、新作のインディーゲームをプレイしていた。惹きこまれて結局エンディングまで一気にやってしまった。その余韻と興奮も相まって、なかなか寝付けずにいた。
酔いが醒めたように意識が覚醒する。お願いだから、この夢から覚めないで。
「リミア、お願い!ゲームの記憶をなくしてちょうだい!」
私の豹変ぶりに驚いた様子だったけれど、リミアは力強く頷いてくれた。
「わかりました。ありがとうございます」
今か今かと待っている私に、リミアは居心地悪そうにモジモジしている。
「大丈夫だよ。私は準備万端だから!」
「その…」
「ウィンウィンなんだから、気にすることないって」
「あの…。そうじゃなくて…」
「うん…?どうしたの?」
話しづらそうにしている。なにかとんでもないことを聞かされるかもしれないと、私はすこし身構えた。
「じ…実はですね。リミアからお願いがひとつあって…」
お願い…?私にできることかな。
「記憶をいただくお礼に、お姉さんの消したい記憶をもうひとつリミアにください」
「えっ」
なんてよくできた子なんだろう!感心しながらも、現金な私は脳内で好きなゲームランキングをつくり始めていた。
「お姉さんが忘れ去りたい嫌な記憶…限定で選んでください」
なんだ…。嫌な記憶で、か。
でも、それも充分にありがたい話だ。本当の意味で、嫌なことを忘れられるわけだから。
「うーん、ちょっと考えさせて」
都合悪いことに、こういう時に限って全然思いつかない。
「さっきも説明した通りなんですけど、負の記憶は危険を回避するためにとても大事なんです」
「だから安全のために、五年以上前の嫌なことでお願いします」
「ごっ…五年以上!?」
大きな声が出てしまった。そんなに前のことなんて思い出せるはずがない。
「リミア、思い当たらないからゲームだけでいいよ」
「いや…その……」
「嫌な記憶も要るんです。バランスよく食べないとリミア長生きできない…」
「そんなぁ……。無理だよ、そんな昔のこと…」
「大丈夫です、お姉さん。朝までまだ時間はあります」
「それに人間の脳はすごいんですよ!思い出せないだけです。リミアお手伝いします」
そう言うと、リミアはどこからともなく本を取り出した。
「『不愉快記憶頻出語辞典』です。リミアが見出し語を読むので、お姉さんは思い出してください」
リミアは私の表情を見ながら、ぽつりぽつりと単語を言っていく。
だめだ……。全然嫌な思い出がわきあがってこない…。
私は自分の恵まれた半生をつよくつよく呪った。
都合のいい取引(1791字)


